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きゃわいいです。
この間、1歳になったばっかりです。
最近、たっちができるようになりました。
いや~、可愛いです。友人には勿体ないです。きっと奴の子供ではありません。
プニプニです。おデブさんです。アゴなんて二重アゴだし、関節からはお肉が垂れています。
だが、そこがいい!!
幼児って大抵、こんな感じですけどね。小学生になるくらいになると、肉が削げてきて筋肉ができ始めるんですなあ。
飯を作って、私、友人、その嫁、ジュニアで酒を喰らって飯を食ってました。
飯を作る前に、外に出て4人で少し散歩をしたんですよ。この子は立つことはできるのですが歩くことはまだできないみたいで、手押し車みたいな補助歩行器を使ってました。
タイヤが回ると音が出る奴なんですね。だからでしょうか?かなり早いです。
左に重心が寄っているのか、車が右に曲がっていってしまうんですねえ。すると、父親である友人が直して上げて・・・。
こいつ、意外と父親だな。似合わないぞ、おい。
この子と会うのは3度目ですが、1回目は出産の5日後。
2回目は・・・いつだったかなあ?数ヶ月とかの頃だったかな。秋口だったかも。まだハイハイもしてなかったと思うし。
んで、今回でした。
私のことは当然覚えてないし、知らないオジサンがいるってんで、泣きました。
ま、登場の仕方も悪かったんですけどね。
友人宅に着いたとき寝ていまして、それから1時間くらい経って起きたんですよ。
その時に一番近くにいたのが私だったと。
で、顔を近づけて「こんにちわ」って言ったら、泣いちゃった。
その後、散歩に行って、電車を見てました。
電車が来ると、バイバイをするんですね、この子。電車の中のオバサンも、この子の可愛さにずっと目を奪われてました。
家に戻って来たら、この子、ウンコを漏らしてました。
オムツを替えるんですが、これが臭い。当たり前です。
友人、ウンコをしていると分かったとたん、嫁さんにバトンタッチですよ。
「やりたくねえ。臭いんだもん」
父とも思えません。
んで飯。
私が「俺飯」を炊いたんですが、これが最初、怪しい物でした。
「本当に美味いのかよ?」と何度も言うんですよ、友人が。
私も半信半疑でした。
実際は美味かったんですけどね。
私がやったのは飯を炊いたくらいで、他の料理は友人が作ってました。
豚汁と餃子。結構上手に作るんですね。ビックリでした。
あとは酒を飲んで飯を喰うだけ。
飯ができるまで、私はこの子と遊んでました。絵本を読んだりして。
最初は泣かれたんですが、散歩の時くらいから慣れてくれたらしく、抱っこしても大丈夫になってました。
きっと、私の美しい心を見抜いたんでしょうね。
子供は純真ですから、本当の姿を見抜くってわけです。
うん、みんな気分よく納得。
飯を食っている間、ずっとこの子はぐずっていました。何が原因か分からなかったのですが、友人がベランダに連れ出したら機嫌よくなりました。
どうやら暑かったようですね。あの日は天気が良かったですから。
機嫌が直ってからは、麦茶をゴクゴクと飲んでました。あっという間に150mmを飲み干し、もっと寄こせとジェスチャーしてました。
「酒持って来い!!」ってなもんです。
きっと、将来は呑み助でしょう。
嫁さんが片付けをしている間、私はまたもや遊んでもらってました。
ん~、きゃわいぃ~ん!!
持って帰りたいくらいですよ、ほんと。
んで、さよならしたんですが、この子、電車にはバイバイするのに、私にはバイバイしてくれないんですよね。
ちょっと哀しかったです。
次会っても忘れていて、また泣かれるんだろうなあ。
そんな訳で、癒されてきましたとさ。
この子が5歳になったら、なにか模型をプレゼントしてあげようっと。
私は反日でも反中国・反韓国でもありません。
そういうのはどうでもいいです。
さらに、ここに書いてあることを鵜呑みにしてはいけません。
何の影響力もないですから心配する必要もありませんが、念のために言っておきます。
「話半分に聞いておけ」
さて、別に重々しいネタを扱う気もないんですけど、こんなネタを書いてみようかと。
http://www.youtube.com/watch?v=XnEO2882ZZY&mode=related&search=
ま、この動画を見てどう思うかはその人の知的レベルに依ると思います。
大体、日本のTV局って馬鹿ですから、こういった込み入った話をするのに、ろくな奴はほとんどいない。
偉そうにボス格に納まってますが、太田光って本当は馬鹿ですよ?
ほとんどものを知りません。言っていることも変に理想論的で、餓鬼かよって思いますね。
理屈は達者ですが、物事をあるべき大きさで捉えることすらできない男です。
変に簡単に言ってみたり、変に小難しくしてみたり。
鈴木サリナ。なんでこんなのが出てるんでしょうか?きっと彼女は現在のアメリカ大統領の名前すら言えませんよ。
ま、その辺は置いといてです。
問題は、話の中心人物となっている中国人女性の発言の是非です。
そして、それに続く幾つかの良質なコメントです。ほとんどが無価値な野次ですから。
「日本が中国に侵略したのは間違いない」
これは私も間違いないと思います。
「それを認めるべきなんですよ」
人のことは知らないけど、知り合いは大抵認めていると思うよ?
「そうすれば中国人は満足するんですよ」
そりゃ、嘘だ。
今まで、なんども日本の政治家は謝っています。従軍慰安婦に関しては確実に。
でも、グダグダ言い続けています。どうでしょうね。こんななってくると、謝っているほうもムカついてくるんじゃないでしょうか?
従軍慰安婦も、これまた胡散臭い部分もあるんですけどね。
ま、日本人的な性風習からすると、あっても不思議じゃないのですけど。性に関して、根本的に日本人はおおらかですから。
五月蝿くなったのは江戸時代、儒教とかが入ってきてからですよ。それ以前はみんなヤリチン・ヤリマンの集まりでしたからね、日本人。
同性愛も、ごく普通のことでしたし。
根本的に、戦争経験のない人が、同じく戦争経験のない人に、
「お前の国は、私の国にひどいことをした。謝れ」
なんていうこと自体、どうもおかしいです。
南京大虐殺。あったっていいますね。あれ、どうもなかったらしいです。私は一次資料(当時者たちの証言など、リアルタイムの物のこと)などに当たれる人間でもなければ、仮にできたとしてもやらないと思います。
要するに、興味はあるがたいしたものでもなく、それに割いてもいいと思う時間は、自由時間のうちのほんの僅かだって人間です。
ですが、若干、二次資料(一次資料を基に、後世の人が書いた資料)を読んだことはあります。
腐るほどの本を読んだ結果得た知識として一番大事だと思うのは、資料を鵜呑みにするなてことなんですね。
書いた人の思想で話が変わるんですよ。
これ、資料を捻じ曲げるということではなく、資料を都合よく取捨するなり、扱いの大小を与えるなりで簡単にできますね。
理論的思考をした事のある人なら、簡単に理解できることです。
さて、そうした目で見ていった結果、なかったと考えることの方が、より事実に近いと思われます。
説明するのは面倒臭いので、興味のある人は図書館にでも行って、そんな内容の書いてある本を3冊くらい借りて来て、ざっと読んで下さい。
1冊じゃ駄目です。
なぜかって?さっきも言ったように、鵜呑みにできないからです。
さらに、行間も読んで下さいね。曖昧になっていたり、突然断定しているものはすべて嘘だと思ってください。
中国が南京事件の証拠だといっている写真にしても、全然関係なかったものだと証明されていたりします。
要するに、中国側の証拠とされるものが、どうも捏造くさいんです。
断っておきますが、私、高校生の頃まで南京大虐殺はあったと思っておりました。
が、色々と見聞きするうちに、なかったと思うようになった人間です。
懐疑主義。これが大事です。
「本当かね?じゃ、調べてみようか」
これですよ。
この女性も、鵜呑みにしているんだと思います。受けた教育とやらを。
この女性、頭はいいんだと思います。が、賢くはありませんね。他人の頭で考えているだけですから。
皮肉にも、教科書問題を取り扱っていますが、この女性を見れば、この議題がどれだけ馬鹿げたものか分かると思いますが・・・。
教育云々ではなく、個人の知識の広さと、知識を得るための能動的行動によって、人間のバランス感覚は養われますから。
知識は絶対善です。弁護側と検事側双方の意見を把握しなくては、到底真実にはたどり着けません。両方の知識が必要です。
んで、その彼女の意見に対して鋭いツッコミが入りますね。
「アヘン戦争の流れから始まっているんだぜ?」
そうです。でも、これを問題にすると、中国人が一番否定したい日本人はたいして悪者じゃないという結論になってしまうんですね。
むしろ、イギリス人の方が極悪人じゃん、とね。
ま、世界史を齧れば誰にでも分かる問題です。
さらに、厳しい突っ込みが入ります。
「チベットは侵略じゃないのか」
まったく仰るとおりです。ま、この辺も各自、勝手に調べてください。
チベット問題に関して、彼女は平然と応えましたね。
「これこそ、内政問題であって、ここで議論すべきことではありません」
もう、この段階でお開きにすべきでだったんでしょうね。
日本が中国にやったことは問題にすべきだ。
しかし中国がチベットにやったことは正しいという前提から始めよう。
まるで宗教ですね。
存在証明など必要ない。
神は存在する。
そこから話を始めようじゃないか?
根本的に、懐疑主義者のように取り合えず事実を羅列し、そこから求められる答えを探ろうとする人とは永遠に相容れませんよ、これでは。
チベットの方も出ていて、この人は賢い方ですね。あっさりと、
「国際的に、あれは侵略だと認識されています。あなたがそう思うのは、きっと教育の問題なんでしょうね」
で片付けています。
グダグダと文句を垂れるでもなく。
理屈はどうにも付きます。彼女に関しては、明らかに矛盾してしまっていますが。
自分に都合の良いことを切り出して話をつなげていくだけの人と、どう考えたって議論なんてできないんですよ。時間と労力の無駄です。
それを良く知っているのでしょう。
だから、懐疑主義が必要なんですけどね。
結局、彼女が言っていることのほとんどすべてが、下らない言葉の羅列です。中身は何にもない。
肩書きを見ると、歴史を色々研究している方みたいですが、得た知識から導き出される答えが、その人のレベルによって、こんなにも低レベルになってしまうのです。
結局、個人の問題であって、教育の問題ではないんですよ。
どんな教科書を作ったかで認識が変わってしまうのなら、もうどうしようもないことだと思った方がいいです。
改善なんてできません。
かつて、マキアベリがこう言いました。
「人は必要に迫られるから善人になるのであって、普段は悪巧みばかりしている」
彼の時代から400年以上経った今日でも、この言葉は真実です。
最後におじいさんがちゃんとしたことを言っています。
「あなた方の言っていることはみんな、性善説なんだ。みんな良い人だというところから始まっているんだ」
まったくその通りです。
話せば分かり合える。昨日の敵とも信頼しあえる。
んなわけねーだろ!!
そういうことは、個人レベルでできてから言えと。
個人レベルでできないことが、どうして国家レベルでできるんだよと。
こういうことを言うのは問題発言だとは思いますが、あえて言います。
人間てのは、ひたすら愚劣なもんだよね?
個人レベルで付き合えば、どの民族だろうがみんないい人です。経験的に。
が、変にイデオロギーの話になると、なぜか偏ったことを言い出すんですよ。
思考停止。
これが問題なんですけどね。
思考停止ってのは、馬鹿が持っている最大の難点ですから。
この女性、これだけ流暢に日本語を喋り、これだけ美人なんですから、おそらく日本人男性と付き合ったこともあるでしょう。
いや、既婚者かもしれませんけどね。
それにしたって、恋心を抱いたことはあるはずです。
日本は悪い国で、日本人はその責任を取らなくてはならないと思っているにもかかわらず。
それってなんで?
それを理論の中心にまず入れてみませんかと。
自己弁護をするために、他人を否定していませんかと。
自分の頭で、個人としての責任で、ものを考えてみませんかと。
さっき知識は絶対善と言いましたが、それは知識がなくてはなんにも判断ができないからです。
が、知識を持っていると思われる彼女にしても、所詮はこの程度です。
これが知識のない人間だったらどうなるでしょうか?
推して知るべしです。
人って愚劣といいましたが、世の中、ほとんどの人間が時間と労力を使って、この手の知識を蓄えたりはしません。
色々知っておこうと思ってないんです。
馬鹿だから。私も含めてです。
俺は知っている。ちゃんと読んでいるよって言う人でも、複数の資料を比べて公正に判断しようという姿勢はほとんど持っていません。
一方聞きで、それを真実として語る人間の如何に多いことか。
馬鹿だから。勿論、私も含めてね。
上から物を言っているつもりはありません。客観的に話したいだけです。
結局、人間が分かり合うっていうのは不可能な話なんですよ。
ケネディの言葉です。
「隣人を愛せと聖書にはあるが、我々は敵国やイデオロギーの違う人間を愛することはできないだろう。
が、少なくともその違いを理解し、共存していくことはできる。
なぜなら、我々は共に家族を愛し、子供将来を思う気持ちは同じだからだ。
そして、最終的な我々の共通点は、この小さな惑星の住み、やがて死んでいくのだ」
ざっと要約ですがね。
また、こんなことも言っています。
「平和とは、結論や結果ではない。日々維持していくものである。
なぜなら、問題を解決するために努力し続けるプロセスこそが、つまりは平和なのだから」
こういう根本的なことを分かる人と分からない人が居ます。
分からない人のほうが圧倒的に多いのですが。
そして、議論になるのは、根本的なことが分かる人同士でなくてはなりません。
どちらか一方でも駄目なら、議論は成り立ちません。
昔やっていた(今は知らないけど)ここが変だよ日本人。
これである韓国人留学生が言っていた言葉。
「日本は軍国主義じゃないですか。軍拡してばっかりで。帝国主義ですよ。そんな隣国をどうして信頼できるんですか?」
それに対してテリー伊藤(この人、賢いのか頭でっかちか、いまだに判断が付きません)が一言。
「君、日本に留学しているよね。随分と日本の様子が分かったと思う。それでどう思う?日本人は帝国主義的だと思う?」
素直なんですね、留学生。
「思いません」
認めていました。
こんなレベルなんですよ。正確な知識を持っているのに、それで判断しない。
感情が優先し、どっかで覚えてきた便利な言葉を頼って、実のないことを喋るだけ。
どうしようもないよね。こういうのを思考停止って言うんだからさ。
こういった中国・韓国人が多いように感じてしまいますが、それってマスコミの罠だと思います。
実際、私がこう考えるように、向こうでもこんなことを言っている同国人を馬鹿だなあと思ってみている人って沢山いると思うんですよ。
つまり、根本的にな意味において、若者世代は既にお互いを敵視していないと思うんですよね。
ただ、それが生き甲斐になってしまっているような屑どもがいまだ沢山生き残っていて、問題を起こしたがっているだけです。
だいたい、靖国問題にしても、朝日新聞が大事にした問題ですから。
朝日が問題視するまで、中国・韓国ともに、何の問題も感じておらず、文句も言ってなかったんですからね。
朝日の記事を見て、「こりゃ、いい梃子だ」って向こうの愚劣な政治家が考えただけのことです。
普通に考えれば、国家・民族に捉われず、戦死者を悼むってのは問題になりませんから。
相手国がウダウダ言う中で、これ見よがしに参拝する政治家(小泉なり石原なり)も愚劣ですけどね。
これに対して、「個人として、それとも公人としての参拝ですか?」なんていうマスコミのレベルもどうかと思います。
ごく身近な友人の話。
どういう成り行きでかは忘れましたが、同性愛の話になりました。
私は同性愛肯定派(といっても好きではないけど。そういうもんだと認めているだけ)。彼は否定というのではないけれどもおかしいと思う派ですよ。
その時、
「江戸時代中ごろまでは、同性愛も当たり前のことだったんだよ?
かの有名な武田信玄にも男の愛人がいてさ、高坂昌信って名前なんだけど、そいつに浮気しましたごめんなさいっていう手紙を書いているんだぜ?
信長だって森蘭丸っていう男がいたしね」
そう言っても、彼は断固として自説を曲げず、同性愛はおかしいと言い続けていました。
「人それぞれなのは認めるけど、おかしい」
とね。
「お前が言っているのは、善悪の問題にしてしまっているんだ。感情に依ってな。
俺が言いたいのは、根本的にこの手のことってのは、その時代の道徳的な価値観によってその意味が変わってしまうってことだ。
だから、おかしいっていうこと自体が間違っている」
つまりは、小学生が初めて知ったセックスという肉体交渉に持つ嫌悪感と同じです。
自分にとって非日常的なことだから、否定するというね。
それでも納得しませんでしたけどね。
ようするに、これも思考停止です。
「同性愛=俺は気持ち悪い=良くない」
それが元凶だってば。
他にもありました。
「昔はな、旅をしている侍とかいるだろ?するとな、停まる宿がないんだ。昔のことなんだから当たり前だね。
そういう時は、行きずりの農家に泊めてもらうんだ。
その時、農家ではどうするか?一般的に、その家の娘とかを夜の相手として差し出すんだ。
勿論、宿泊費やら貰っているからってのもあるしな。
でもま、それが当時は当たり前だったんだぜ?」
そういうと、全力で否定するわけです。
「いや、それは違うだろ?一般的だったの、本当に?あそ、本当なんだ。
でもさ、当たり前のこととして差し出していたんじゃなくて、嫌々だったんじゃないの?」
彼は基本的にこうです。何でもかんでも自分の価値観の中で判断して善悪をきめてしまうんですね。
感情の事実を切り離して考えられないんですよ。
自分の感情と乖離した事実を認めたくない。
だから、事実を曲げようとする。
これが一般的な人だと思うんですけどね。
勿論、嫌々の時もあったでしょうけど、当時の日本はセックスにかんしては恐ろしくおおらかで、行きずりの相手とやるなんてことはごく当たり前だったんですよ。
キリストやら儒教やらが入ってきて、この辺がやかましくなりましたけどね。
だから日本って恐ろしく沢山の売春施設ってのを昔から持っているんですよ。
ですが、そこで働いている売春婦が卑下されていたかというとそうでもなく、平気でどこぞの偉い大名の奥方になったりしているんですね。
こうかくとアレですけど、彼はいたって寛容で心の広い人間です。
むしろ、私の方が偏狭だと思います。
念のため、彼の名誉を守るために書いておきます。
ちなみにもう一つ書いておきますが、私は誰彼構わずやるのは好きではありません。
その辺は私も現代の道徳観念の中で育った人間ということです。
ただ、感情と事実を区別する訓練は日頃からしているので、受け入れられるってことです。
ま、彼とは長い付き合いで、親友中の親友ですけどね。
私にとって、部分否定部分肯定は当たり前なので、こんなことも平気で書きます。
面と向かっても言いますし。
勿論、私にもこうした思考停止はあると思います。
人間は自分の感覚がすべてですから、自分の根本的な間違いってのは認識し辛いんですな。長所も短所も分かりませんて。
さらに言えば、超音波で飛ぶコウモリの世界観が分からないように、自分と違う価値観の人の気持ちは、極端な話、分かりません。
が、人間には思考力と想像力があります。
否定されればその時は向きになる私でも、後々冷静になって会話を分析したりはしています。
そうやって、歪な頭や心から脱して、真実に近いところにいけたらなって思ってます。
は~、長くなった。
私が今一番興味のある模型各種のコストパフォーマンスを、適当に計算してみようという試みです。
以前のお話はこちら。
では続き・・・。
ガンプラのMG。一個4千円ほどするものです。最近では平均5000円になりつつある?
これだと一時間あたり幾らかかることになるでしょうか?
経験からすると、300パーツほどで凡そ8時間くらい組み立てにかかりますね。300もパーツがあるキットは少ないですけど。
んで、モールド彫り直し、合わせ目やパーティングライン、ヒケなどを消す基本工作、まあ整形作業ですね、これをちゃんとやったらプラス4時間くらい?エッジ研ぎ出しまでやったらプラス3時間くらいかな?
ま、4時間で計算します。MGは、整形にかかる労力が少ないです。
とすると、基本工作まで12時間。
その後、塗装にどれくらいだろ?かなりかかるよねえ、パーツも多いし。マスキングは余り必要ない構成になってはいるけど・・・。
やっぱり塗装に10時間くらいはかかるんじゃないかな?
エアブラシを使い始めてから旧キットしか塗装してませんけど、サフに小一時間。下地塗装に2~3時間。マスキングに2時間くらい。その後に色を乗せていくのにやっぱり3~4時間くらいかかっているし。
まあ、10時間前後でいいんじゃないかな?
全部で22時間ですか・・・。
とすると、MGは1時間あたり181円かかっていることになりますね。
ガレキはやっぱり高いってことですね。私の場合のコストPは185円なので、ほとんど同じになりますけど。
HGUCならどうでしょうかね?
値段は1500円。かかる時間はMGの半分以下でしょうから、ざっと10時間とします。
すると、1持間あたり150円。やっぱり安いみたいですよ。
改造なんかしたら、かかる時間も圧倒的に増えます。が、かかるお金も飛躍的に増えるので同じようなものでしょう。
旧キットはどうでしょうか?
結構手間がかかりますよねえ?
組み立ては簡単で、やる気になれば3時間くらいで終わり。
基本工作はMG並みかそれ以上かかるかと思います。合わせ目は全身にありますしね。パーツのズレも必ずありますし。
すると、基本工作で5時間くらいかな。
んで、塗装も意外と厄介ですね。マスキングが多いですから。上のMGと同じで10時間くらいかな。
すると合計18時間。
旧キット、一概に旧キットと言いますが、サイズと時期によって値段もマチマチですね。まあ、平均1200円とします。全サイズ込みでです。
ってことは、1時間あたり66円。
うお!!本より安い!!
1/144で計算したら、1時間あたり50円以下になりそうだ・・・。
やっぱり旧キットは、合理的な遊びってことですよ。
ってか、これを見ると(いい加減な数字ではありますが)、昨今のガンプラが如何に値段高騰しているかが分かりますよね。
コトブキヤさんの場合はどうだろうなあ?
一個3000円くらいで出しているだろう?で、パーツ数もMGよりも若干少ない程度の200個ちょっと。
面倒臭いから、レイレナードで計算しよう。あれ、超格好いいし。
あれ、4000円です。パーツ数は510個だったかな?
なので、組み立てにはおそらく11時間くらいかな。
で、基本工作はMGよりも圧倒的に多いです。合わせ目があるのが当たり前のキットがコトブキヤさんですから。
なので、パーツ数も加味してガンプラ旧キットよりも時間がかかるんじゃないかな?
とすると、6時間くらいかな。
で、塗装ですが、マスキングはまず不要の設計になっていますね、コトブキヤさんは。色分けのためのパーツ分割は、バンダイよりも徹底してます。
ま、パーツの多いレイレナードなので、MGよりも若干かかるくらいと考えて、11時間。微妙な数字だな・・・。
ま、レイレナード完成まで、28時間くらい?
とすると、1時間あたり142円です!!
偉い!!コトブキヤさん。ちゃんとコストダウンを考えてる!!
ま、出荷数の関係上、ガンプラの方が圧倒的に割引が大きいんですけどね。2割3割当たり前!!
ガンプラが小売店泣かせの商品だってことが分かりますねえ。アソート販売が間違ってるんだろうに。
でも、それがあるからマイナー商品もキット化できるのか?いや、関係ないだろう。ただ自社本位なだけだ。
さて、こう考えてみると、完成品であるSDが如何に高いかが分かります。
作業時間などまったくなく、10数万円ですから。
コストパフォーマンスで言えば、比べられない世界にありますな、スーパードルフィー。
しかも、SDって髪のパーツだったり服だったりを別売りでも揃えることができるみたいです。
すると、さらに投資が必要な物であることになりますね。
ええ、模型と同じかそれ以上の追加投資が。
模型は作る関係上、初期投資として道具を揃えますけど、SDは手に入れてから着せ替えたりするために追加投資すると。
同じですね、この辺は。本体とは別に金がかかると。
模型を作る人ってのは、どんなに「面倒くせ~、やってられねえ~」って言っても、やはりその作業が好きなのですよ。
色々と工夫して、形ができたときの達成感と言えばいいのでしょうかね。そのカタルシスが病みつきになるからこそ、模型を作り続けるのです。
登山と同じですね、この辺の心境は。クタクタになろうとも、頂上に立ったときの喜び。
ヘリで行ってしまったら面白くもなんともないですもんね。
本:70円/1h
ガレキ:277円/1h
MG:185円/1h
HGUC:150円/1h
旧キット:66円/1h
レイレナード:142円/1h
ホテル:2000円/1h
SD:10数万/1h?
ってことでね。
やっぱりガレキは高かったってことです。
そして、コトブキヤさんの値段設定は良心的ってことですな。だって、HGUCよりもコストパフォーマンスが良いんですよ?
んで、旧キットはもう言うことなしのコストだってことですよ。
ダサいとか言う前に、弄ってみろってことです。旧キット。
完成後の鑑賞に堪える期間、造形の良さや満足度のことですが、これをコストに加味すれば、ガレキはMGよりも圧倒的に優れた模型ですから、いくらかはコストパフォーマンスは下がるでしょうね。
コトブキヤさんのキットも、造形に関してはバンダイなぞ目じゃないくらいのセンスを持っていますから、さらにお安くなると思います。
旧キットは・・・観賞に耐えるかどうかは人それぞれなので・・・。ま、いいキットだってありますって。
今やっている逆シャアシリーズ。かなりいい物ですよ?ちょっと弄ってあげるだけで、見違えるように良くなりますよ。
SDは・・・どうなんでしょうね?まったく萌え萌えしないフィギュアなので、どれくらい観賞を楽しめるか、想像もつきません。
ま、恐ろしくクオリティの高い製品だってことは、興味のない私にでも分かります。そのくらい凄い物ですからね、アレは。
結論。
やっぱり完成品はつまらん。
例えそれが圧倒的な完成度であっても。
あ、SDを否定しようとかそういうことじゃないです。ある意味、工芸品のようなデキですからね。私の趣向とは合わないだけで。
結局、興味のない人から見れば、趣味なんて本当に無駄金なんだって言いたかっただけです。
方向性は違うとはいえ、模型もフィギュアも果てしなく死に金を使う趣味だってことですよ。
いや~、しかし。
無駄に長くなったな。こんなに書く予定ではなかったんだが。
海洋堂さん亡き後、FSSガレージキット牽引役であるボークスさん。
最近知ったのですが、ボークスさんのもう一つのウリ。SDなるもの。これがとんでもないことになっているんですね。
私にとってSDと言えば「スーパーディフォルメ」ですが、ボークスさんにとっては「スーパードルフィー」です。
これ、名前だけは知っていたんですよ。ボークスさんのサイトに行くたびに出ていますからね。
が、中身までは知りませんでした。
模型なんぞやってはおりますが、フィギュアとかドールとかにはまるっきり興味のない私。
調べるわけもありません。
で、なんだか知りませんが、ゴールデンウィークにこのSDのみ(?)のイベントをボークスさんがやってみたいで、目立つところに写真があったんですよ。
それ一本でイベントが成り立つほどに、このSDとやらは売れているんだろうか?
私もちょっとだけ興味を覚えました。
クリック・・・。
オイオイ、貴様ら!桁を間違えてねえか?
どんな心境でこれを買うんだよ?
お人形さん一体で、普通に10万以上するんですけど・・・・。
子供(サイズが小さい物)でも6~8万くらい。
FSSのガレキなぞ吹けば飛ぶような額ですね。
恐れ入った。
実際、この間買ったニューマイティシリーズと一緒に来たボークスニュースとやらでも、FSSキットの宣伝なんぞほんの1ページで、残りの数十ページはこのSDに割かれていました。
やっとわけが分かりましたよ。
利益率が全然違うでしょうねえ。
確かに良くできてはいるんです。
商品がどういう形態なのかは知りませんけど、おそらくアレは完成品でしょう。
その完成品の塗装が素晴らしいのですよ。肌の質感とか。
凄いなあとは思ってみていたんですが、まさかこんな値段だったとはねえ。
私、なぜなのかまったく分かりませんが、人形に興味がもてないのです。
立体物が欲しいのは、あくまで「ロボット」であり「メカ」なのです。ヒーローのフィギュアでも、綺麗な人形でも、裸の美少女でもないのです。
なので、こんな普通のサラリーマンの月給の半分が飛ぶような高額な人形を買う人がいるなんて信じられませんでした。
が、ここで気が付いてしまったのです。
いやいや、俺も同じだぞと。
FSSのキットは、SDに比べれば確かに圧倒的に安いです。
が、絶対値で考えれば阿呆の様に高いです。
なんたって2~4万もするわけですからね。現在、平均で25000円でしょうか?
とすると、そこらのお父さんの一月のお小遣いくらいすぐに飛んでしまうのです。
模型にまったく興味のない人からすると、これはどうしようもなく愚かな散財に他ならないでしょう。
もう少し安くして~。
ここで考えこんでしまうわけです。
「嗜好とは何なのか?」
人間、好きなものに対しては、お金を惜しみません。
彼女とホテルにしけこむ為に、高々2時間で4千円とか使ってしまうのが人間です。
これを阿呆という男は、そうはいないでしょう。
これを考えれば、3万だしても、チマチマと作って整形して塗装していけば、優に1~3ヶ月くらい遊べるガレージキットはコストパフォーマンスは高いと言えます。
作る楽しみだけでなく完成すれば、その後もずっと飾っておくことができるんですからね。
ホテルで楽しんでも、快楽にその後の持続性はありません。その場だけの楽しみですね。
ま、方向性はまったく違うわけで、ちょっと頭の固い人なら、
「そら、比べること自体がおかしい」
なんていうでしょうね。おかしいなんていっていること自体がおかしいんですけど。
だって、そこには個人的な価値観、というか好みが入っているわけで、そういうものすべてを包括して考えるのが統合理論なわけですから。
何に対して、幾らの金を使うか?
これが命題とすれば、SDもガレキもホテルも、みんな同じ土俵で語ることができます。
もっと言えば本です。
以前にも書きましたが、私、本当に本が好きです。模型に触らない日があっても、本を読まない日はありません。
寝る前に活字を眺めておかないと、なんだか落ち着かないのです。
ほとんど習慣ですね。本を読まないひとは、文字から情報を得て把握することがストレスなようですが、私はまったくストレスは感じませんね。
つまらない本ならともかく、面白い本なら何時間読んでいても草臥れませんから。
で、本ですが、文庫本でおおよそ700円くらいです。ここ10年の間に激しく値上がりしましたね。かつては500円前後だったんですけどね・・・。
ハードカバーで、おおよそ2000円前後。安いのだと、1000円ちょっとのとかありますね
これから考えると、SDはおろか、ガレージキットですら高いこと夥しいです。
文庫の30倍もかかってしまいます。
ここでは一個あたりの値段で高いかどうかを判断しましたが、今度はコストパフォーマンスで考えて見ましょう。
文庫本、一冊700円。
ガレキ、一体2万5千円。
本を読むとき、皆さんはどれくらいの時間がかかるでしょうか?
私は読む速度は結構速いようでして、ってか小学生の頃からず~っと読んでいるのですから当たり前ですが、以前調べた時は1時間に100ページほど読んでいました。
といっても、これは文字数が少なめの本だったので、新潮社の普通の本なら、あるいは60p/1hくらいでしょうか?
で、700円くらの文庫本ですと、おおよそ400ページくらいです。
つまり、7時間ほどで読み終わってしまいますね。
小説などの読みやすいものではなく、もう少し記憶と把握は必要になる本、学術書だったりすると、倍くらいかかってしまうかもしれません。
なので、ここは10時間としておきます。
700円で10時間楽しめる。これが本のコストパフォーマンスです。
次にガレージキットです。
私、まだガレージキットを作ったことがありません。
が、プラキットよりも手のかかるものであることは知っています。
そこからいい加減に割り出します。
どこまで丁寧にパーツを整形するか、塗装にどこまで拘るかにも依りますが、大体の人はガレージキットを2ヶ月くらいかけて作っているようです。
私がプラキットを作るにしても、一日平均1時間~2時間くらいで、おおよそ半月かかっているわけですから、頷ける制作期間ですね。
モチベと慣れも大きく影響するのでしょうが。
で、ここで一日1.5時間と考え、それで2ヶ月かかるとすると・・・。
完成まで90時間。かなり長い時間を遊べることになりますね。
2万5千円で90時間楽しめる。これがガレージキットのコストパフォーマンスです。
ではここで、1時間ごとのコストを考えて見ましょう。
本:70円。
ガレキ:277円。
かなりガレキが高いことが分かります。
やっぱりガレキは高価なのです。
模型制作は、模型だけで完遂されるものではありません。ペーパーやらナイフやら塗料やらエアブラシやらが必要ですからね。
実際には、これ以上の額が投資されている計算になります。
が、その辺は考えないでおきます。具体的な数字を出すのが不可能なので。
ここで、
「模型は完成するまでが楽しいわけではない。完成し、飾っておくことが、最大の楽しみである」
と、この数字に文句をつけることもできます。
しかし、人によるのでしょうが、私の場合、面白かった本なら、何回も読みます。ええ、3回くらい当たり前。10回以上いくこともザラです。
なので、その後のことを考えても、私の場合はやはり費用対効果は変わらない気がするのです。
本を一回しか読まない人であれば、話は別ですけど。
漫画だと、圧倒的にガレキの方が安くなりそうですけどね。漫画は一冊を30分もかからず読み終えられますから。
私は漫画は読まないので、この辺のコストパフォーマンスはどうでもいいです。
本に対する形而上の価値を持ち込むと、もう理論ではなくなるので止めておきます。
模型に形而上の価値はないと思ってます。
ただ楽しいだけです。自己満足です。
さて、上の数字、特にガレキの方はかなりいい加減です。物によってパーツの数が大分違いますし、成型技術に依っても、労力は相当に変わってくるからです。
私を基準に考えれば、完成までおそらく3ヶ月くらいはかかると思うのですよ。
とすると、一時間あたり185円くらいにまで下がりますね。
ちょっと面白いので、もう少しコストパフォーマンスを計算してみます。
が、長くなったので、続きは次回。
一応勢いに任せて全部を書いたんですけど、文字数が多いとか言われまして、投稿できません。
ではでは。
「よく」といっても1ヶ月に一遍くらいですが・・・。
んで、その友人は本当にインポテンツな人間でして、格好いい、美しい造形ってものにまったく関心がないんですな。
超格好いいレッドミラージュ・インフェルノナパームや、超美しいオージェの画像を見せても、まったく何の反応も示しません。
男とも思えませんな。
きっと男根は付いていません。
まあ、世の中には造形物にまったく関心を持たない、持てない人間というのは多いです。
女は確実といっていいほど模型なんぞに興味を持ちません。
男でも、そういう人は多いのです。
概ね私は、そういった造形物に興味を持たないひとを「女的感性の持ち主」と呼んでおります。
男なら普通は興味持ちますって。
で、最近思ったんですよ。
男女の趣向で別ける以前に、いい年して模型に興味を持つ人、持たない人ってのはある一定の法則があるのではないかと。
以前にも書きましたが、私、子供時代に玩具はまったくといっていいほど買ってもらえませんでした。
母が教育ママでして、将来の役に立たないものは必要ないって人だったんです。
ちなみに、将来の役に立つものってのは、お勉強を意味します。お勉強の足しにならないものは「下らないもの」「無意味なもの」として、私は与えられませんでした。
こういう母親を持った人間は、非常に辛いのです。ま、愚痴を言うつもりはありませんが。
で、私がこれまでに親に買ってもらった漫画は、ドラエモンの38巻と聖闘士星矢の6巻の、2冊だけです。
買ってもらった玩具は、ミニカーのでかいサイズのパトカーだけです。5歳の時だったかな?クリスマスプレゼントでした。
他にも小さいミニカーが幾つかありましたが、買ってもらった記憶がないです。なので、これは物心が付く以前のものなのでしょう。大体、あんなものは何百円の世界です。
それ以外の玩具は買ってもらっていません。
お金を出してもらったという意味でなら勿論あります。が、これは物を買ってもらえないがために、私が「誕生日プレゼントも物ではなく、お金でくれ」といったからに他なりません。
物で貰おうとすると、どうしても参考書とか辞典とかなってしまうからなのですよ。
子供時代の私がシニカルだったからではなく、必要に迫られた知恵だったわけです。
そんな訳で、子供の頃の私は、誕生日とお年玉となけなしの小遣いをやりくりして、玩具を自分で購っていました。
それでも、誕生日に貰ったお小遣いでゲームを買ってくると、母はグチグチという人でしたが・・・。
「昔の人はね、子供でも働いていたんだよ。玩具なんて買ってもらえなかったんだよ」と。
私は昔の人じゃないし、玩具なんてそもそもあまりなかった時代のことでしょ?それは。
大体、そんな基準を持ってきてしまったら、「昔の人は、敵を片っ端から刀で刺し殺し、その数が多い人ほど出世できたんだよ」なんて言えてしまう訳です。
無茶苦茶な理論です。ただの自己正当化ですな。
そういう物質的にまったく恵まれない子供時代を送った私だからこそ、大人になったとき、ふとした瞬間に当時の乾きを思い出し、趣味の世界(この場合は模型)にのめりこんでしまったのではないだろうか?と思った次第です。
先ほどの模型にまったく興味を示さないインポ友人は、それはそれは凄い勢いで玩具を買ってもらってました。
ゲームなどは、ファミコン、それ以前のカセットビジョン、スーパーファミコンまで買ってもらい、さらにソフトもかなり沢山買ってもらっていたのです。
私からすると夢のようですが、彼としては「たいして買ってもらったわけではないよ」ということです。
まあ、誰しも自分が基準と考え、自分は恵まれた人間だとは思っていないものです。
彼の甥っ子姪っ子に、彼の母親が沢山玩具を与えすぎると、彼は憤っておりました。
私はそんな彼に憤りました。
「お前が言うな!俺の数十倍もの玩具を買ってもらっていたお前がそれを言うな!!」
そういう彼だからこそ、大人になった現在、能動的行動を引き起こす温度の高い主体的趣向というものをあまり持たない人間になったのではないかと思います。
つまり、大人になって何かにのめりこむ人間は、子供時代に恵まれなかっただけなのではないか?
そういうことです。
本を読むといっても、私ほど広範にわたり乱読する人間は見たことがありません。
音楽を聞くといっても、私ほどより良い、より美しい、ジャンルに捉われない楽曲を求め探す人は会ったことがありません。
ゲームをするにしても、私ほどやりこむ人を見たことがないのです。(といっても、ゲーム自体、私は限られたものしかやりませんが。RPGなどは10年以上前から興味も持てません)
そして、これらに新たに加わったのが模型でした。
私がこうまで趣味人になってしまったのは、確かに私個人の性向もあると思います。主体性に手足が生えて生きているような人間ですから、それが楽しいかどうかは自分基準で決めざるを得ないのです。
なので、世の中の流行で満足ができるわけがない人間なんですね、私は。
だから、どうしても自分で調査、研究せざるを得ない。
しかし、それ以上に、子供時代の不遇が、やはり大きかったのではないかと思うのです。
充分に遊ばせて貰えなかった。(小学一年生のころから、毎日何時間もお勉強させられた)
充分に与えられなかった。
そういったことが、今に大きく影響しているとしか思えないのです。
ウチの場合、お金がなくて、親が与えたくても子供に与えてやることができなかったというわけではないですから。
ただ、母の価値基準で「下らない」と思ったから与えなかったというだけで。
さっきも言いましたが、「下らない」というのは、お勉強の足しにならない物という意味です。
勿論、そうでない人も大勢います。
模型を作り続けてウン十年って人がね。
私にしても、本は子供の頃から読み続けてましたからね。
しかし、すべてに当てはまる理論を作るのは不可能です。
よって、私という人間においては、上の理屈が真理なのだろうと思います。
以上のことから、子供を趣味人にしたくないのだったら、ある程度は玩具を与えておいた方がいいと思います。
でないと、どこかで何かに反動が来ますから。
その「何か」が模型や本や音楽ではなく、本当の意味で「下らない(人として)」ものだったら・・・。
その子はおそらく人生を踏み誤ることになるでしょうしね。
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