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その女の子が信じてくれたなら、ドロボウは空を飛ぶことだって、湖の水を飲み干すことだってできるのに
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「ゲド戦記」

点数:6点
寸評:父親と息子のバックグラウンドの広さの違いが如実にでただけ。

超久しぶりな映画覚書のカテゴリの更新です。
ここのところ忙しくて、本どころか映画も見る時間がありませんでしたからね。本なんて、ここ半年くらいまともに読んでませんよ。
困ったもんだ。

さて、ゲド戦記。この間、「崖の上のポニョ」の宣伝のため、TVで放送してましたね。
公開当時、ボロクソに言われてましたね。例に漏れず、私も「耳をすませば」以降のジブリにはまったく期待していない人間ですから、興味はほとんどありませんでした。
よって、「いつかTVでやるだろう」くらいの気持ちで待っていました。
ちなみに、小説はまったく読んでおりません。

曰く、
「超つまらない」
「無駄にグロテスク」
「そりゃ、作者も怒るわけだよ」

大体こんなところでしたかね。当時の反応は。
つまらないなんていう前に、なにがつまらないのか、大体の人間は説明できないもので、「つまらない」しか言わない人は馬鹿だと思っております。
ただ自分の趣味に合わないだけってのが理由のほとんどですからね。
なにがよくて、何が悪いのか?それが一番重要です。

でですが、この映画。私の感想を一言で言うならば、
「ある一点だけですべて許せてしまう映画」
です。

その一点とは・・・

草原に立つ少女。
夕日を浴び、一人立ち尽くす。
やがて、少女は歌いはじめる。
風のざわめきと揺れる草木を感じ、たなびく雲と凪いだ海を見つめながら。
独り、夕暮れの草原で・・・


夕闇迫る雲の上、いつも一羽で飛んでいる、鷹はきっと哀しかろう
音も途絶えた風の中、空を掴んだその翼、休めることはできなくて・・・

心を何に喩えよう
鷹のようなこの心
心を何に喩えよう
空を舞うような哀しさを・・・


このシーンでした。
秀逸なシーンです。というか、歌詞が本当に素晴らしい。
不覚にも私はここで泣きました。アレンと同じように。

この歌詞を理解できるのは、本当の意味での孤独と戦った事のある人だけだと思います。
天空の覇者として空を舞う鷹が、なぜ哀しいのか?
気高く優雅に生きようとする美しさと、その裏側にある哀しさ。言いようのない切なさ。
自分を受け入れ、自分を乗り越えることですよ。

このシーンを見るだけですべてを理解できない人には、幾ら説明しても理解してもらえないと思います。
それこそ、バックグラウンドの違いなのですから。
甘い人生と生ぬるい人間関係と狭い世界だけで満足する人間には、永遠に理解できません。

人の美しさと哀しさを、秀逸な比喩で表現した、類稀なる歌です。

このシーンだけで、この映画のすべてを許せてしまうんですよ。私は。変な話ですけどね。
極端な話、本編は必要ないんです。この曲さえあれば。

では、それほど存在感のないこの映画の何がいけなかったのか?ちょっと書いてみましょう。

これまた一言でいうなら、「セリフが陳腐すぎる」ってことなんですね。
ついでに展開に工夫がないこと。

セリフが直截的すぎるんですよ。「私はテナーに生かされた。だから次の命にそれを引き継がなければならない。そうして命は続いていくんだよ」
ヒロインが言うセリフですが、そのまんまなんですよ。
こんなことにも気がつかないで、「自分は独力で生きている」なんて思っている馬鹿ガキは腐るほどいますから、そういう人には新しい価値観かもしれません。
が、自分でこういう形而上のことを考え、そこまで辿り着いている人には、「そんなことは分かってるよ」で終わってしまうんです。一つの出発点でしかありませんから。
だからこそ、次の段階。「気高く生きる」とはどういうことか?を描いてほしいのです。その上でこのセリフがあってほしいのです。
勿論、もう少し上手な表現でね。

次に、「命は受け継いでいくもの」「愛を受け、その愛をまた誰かに与えること」。こういうメッセージはいいのですが、それを上手に表現できていないんです。
唐突に作者が言いたいことが押し付けがましく出てきてしまい、映画を見ていくうちにすんなりと理解できる展開になっていないんです。
先ほどのテルーの歌を聴いて、その意味が分かる人なら、この内容でもついていけると思います。それほど、あの歌のシーンは大きな存在ですから。
が、あそこで理解できない人には、アレンが何をどうしてそこまで恐れていたのかもわからないでしょうし、テルーのセリフだけで急に前向きになった理由も分からないでしょう。
なんとなく理解はできても、根底にある「人の気高さ」ってものを判っていない人は、素通りしてしまう展開なんですよ。

これがおそらく、宮崎吾郎さんと、ナウシカやラピュタを作り上げた親父の宮崎駿さんの格の違いなのでしょう。厳しいことを言うようですけどね。
こういうことって、年齢とかはあまり関係ないんですよ。要は、生きてきた中で何を学んできたかなんです。

約めて言えば、「喪失と再生」「自己の許容と凌駕」ってことを、作中で描ききれていないのですな。
テルーの歌がすべてを表現し、そのオードブルが映画本編みたいなんですよ。残念。

絵も好きになれませんね。好みの問題ですけど、背景は凄く緻密に描いているんです。
が、そんなことはどうでもいいんです。映像の美しさが映画の価値を決める要素ではないんですよ。
背景は緻密ですが、人物は割りと大味な描き方で、どこかノッペリとしているのも残念です。

つまり、薄っぺらいんです。
最近のゲームを見ているみたいなんですよ。グラフィックにばっかり拘っているようなゲームを。

監督は、いわゆるアニメ・ゲーム世代としての表現脳なんじゃないかと思ってしまいます。
バックグラウンドが狭すぎるんです。自分の頭の仲だけで、自分の好悪だけで世界を作ってしまう。だから、言葉以上の表現ができないわけです。
世界を創ることができないんです。
表現者として、これは大きな欠点でしょう。これから獲得できるものではないですから。なぜなら、技術ではないからですね。

おそらく、原作のゲド戦記が好きな人には受け入れられないし、それを知らない人でもある程度のレベルにある人以外には「分からない=つまらない」という馬鹿な価値観で断定されてしまう映画でしょうね。

形而上のことを形而下に置き換えることは、果てしなく難しいことです。
それが、監督にはできなかったってことなんでしょうね。

なんかボロクソに書いているみたいですけど、違います。
「もう一歩」って言いたいのです。
技術ではなく、内容をもっと洗練させて欲しかったなあと。

そんな訳で、ゲド戦記。悪くはありませんよ。
え?そんな風に聞こえない?
ま、見る価値はありますから、あとはご自分で判断してください。


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